第5回は伝統的な空手と拳道学との関係に関して考えてみましょう。ここでいう「伝統的な空手」とは、現在一般に広く普及している「新空手」ではなく、かつて琉球王国に伝えられていた空手であり、糸洲安恒先生・東恩納寛量先生の流れを汲む空手のことです。拳道学はこの流れを汲んだ空手を原点としています。しかし、みなさんは拳道学を学んでいると伝統的な空手と大きく異なる部分があると感じているのではないでしょうか。今回は、どこが違うのか、どうしてこのようになっているのか、ということについて考えてみましょう。
空手の伝統 空手の技術は、およそ350年以上前から明治初期までにかけて中国から少しずつ伝えられ、それが琉球王国の王室関係者・政府高官を中心に秘密に伝えられてきたものです。このような人々は厳しい登用試験である「科挙」に合格した人です。その中でも人格的に優れた文武兼備の人にだけ技術を伝えてきました。これは明治期に団体指導を行うまで守られてきた伝統です。この点はたいへん重要な点です。伝統的な空手は高い教養を持つ人格者に行われてきたものなのです。 継承・保存・進化さて、このような空手を現代社会で行うことを考えると、そのままでは単に古臭いものになってしまいます。そもそも100年以上も前の技術を何も変化させずに行うということは、時代遅れのものを単に行っているだけになってしまいます。伝統技術の保存を「何も変化させずに継承することが最善である」とする考えもあるようですが、拳道学では真によい部分は伝統として引継ぎ、保存すべきものは保存し、時代遅れとなるものは時代の先を進むように進化させる考え方をとります。真に優れた伝統技術・技能を伝承している人々はおおよそこのような考え方を持っているようです。それでは、伝統的な空手の、何を真に良いものとして引継ぎ、何を保存し、何を進化させているのでしょうか。 伝統の継承伝統的な空手の良い部分を見つけるには高い教養を持つ人格者に行われてきたという点から考えると見えてきます。「武術を学ぶと自分に自身ができる」とよく言われますが、私を含め多くの人がそのように感じているようです。当時空手を学んでいた人もそのように感じたのではないでしょうか。だとすると、当時の琉球王国を牽引していた人の人格形成に何らかの良い影響を与えていたと考えられます。拳道学では、この考え方を単に引継ぐだけでなく、より発展させて引継ぎます。拳道学は、かつて琉球王国の社会を牽引していた高い教養を持つ人格者にだけに行われたという伝統をより積極的に引き継ぎ、このような人を育成するための空手として発展させます。保存空手は文化です。したがって、本当に空手という文化を知るにはその形成過程を知らなければなりません。しかし、残念ながら、その形成過程に関する歴史的資料はほとんどありません。このような状況で、残っている貴重な資料の一つとして「型」があります。先にも述べましたが、空手は「型」の伝承という形で伝えられてきました。つまり、「型」は空手の過去を知る貴重な歴史的資料なのです。このような歴史的資料は本来の形を変化させて残しても意味はありません。拳道学では糸洲安恒・東恩納寛量が形成した「型」やそれらよりも古い「型」を変化させずに保存します。さらに、空手の奥義、師が弟子にどのように指導したか、どのような鍛錬方法があったかなどの保存も行います。進化 拳道学の技術で伝統的な空手との違いを見つけることは難しいことではないと思います。伝統的な空手の「型」にある技と拳道学の実技で行っている基本や試合は大きく異なることは一目瞭然でしょう。そもそも伝統的な空手には防具や試合は存在しませんが、拳道学では防具を着用した試合を行います。拳道学の技は防具を用いた試合により科学的な視点にたってその有効性を検証したものです。これはあきらかに大きく進化した部分であると言えます。 まとめ 拳道学を知る一つの方法として今回は拳道学が伝統的な空手のどこを継承し、どこを保存し、どこを進化させたかについて書いてみました。技術的な部分は目に見えるためわかりやすく、そのために拳道学の本質に目が届かなくなることがあるかもしれません。しかし、私の経験から考えると、物事の本質は目に見えないところにあるようです。優れた人は目に見えないところにある本質を見抜く能力を持っています。みなさんも目に見える部分だけでなく、その奥底に何があるかを考えてみると、新たに発見することがあると思います。ぜひ挑戦してみてください。 |