第五章 文化創造への指向

 4章で述べた多くの問題とその反省をどのように生かし、新しい文化を創造するか。5章では、大西先生がどのような構想・考えを持って拳道学を創始されたかを、その構想と実現の過程を説明します。この章は、ページ数こそ少ないですが、一つ一つが大きな意味を持っており、拳道学を理解する上で非常に重要なことが記されています。この章を理解しなければ、拳道学を理解することは難しいので、拳道学を学ぶ人は繰り返し読んで考えて下さい。
 また、この章では、拳道学を学ぶ人に限らず、今後の社会を担う人にとって肝に銘じておくべき多くのことが書かれています。空手や拳に興味のない方にも是非一読することをお勧めします。

要約 [173ページ〜179ページ]

構想

 人間は、常に学問により、広く周囲を照らしながら進む必要がある。これからの社会を見据えれば、人類は一つ、世界は一つという考えのもとに、真の平和と楽しい未来をつくることが必要である。人は文化の中で育ち、文化から大きな影響を受ける。故に、専門分野の知識を統合した文化をつくり、未来に必要な人間を養成することである。人類の歴史を見れば、良き社会を創ろうとした少数の優れた識者と、我欲のもとに動く権力者とそれに諂う大多数の大衆との悪戦苦闘である。近年は、これに強大な破壊力を持つ技術革新が加わり、ことは地球全体に及んでいる。今こそ、なぜ争う必要があるのか、楽しい平和な社会がつくれないか、を広い視野から考える必要がある。
 科学的思考が発生してから久しい現代においても、常識・宗教・権威に左右されている非物質文化が多い。これらは体系的反省がなされるべきである。価値ある文化とは、時代の先を進み、世界を知的方向へ導くことのできるスケールの大きい文化である。そのような文化によって人々を導くことにより価値が生じる。このような文化は、その時代を生きる大衆には理解されにくい。歴史がその価値を認めるものである。故に、文化をつくる人・関わる人は、絶えず歴史に責任を負い続け、歴史の審判を受けないわけにはいかない。
 このような文化には、科学的思考が必要である。科学的に物事を行うとは、○常に疑問を持つ、○行うことが社会や人類にどう関わるかを先見する、○常に学問を行ない進歩する、○人類に幸をもたらし、災いをもたらさない、○専門分野に凝り固まらない、○結果を見て考える、ということである。これらを踏まえ、さらに真理を見る眼をどう持つかが最も大切である。
 新しいものを創るには豊かな発想が必要でなる。発想には、広い知識と体験が必要であり、固定観念に囚われてはならない。発想は、合理的でなければならないが、社会状況とともに動くものである。前代に通用した原理や方法は、人間が創り出したものであり、時代とともに通用しなくなることもある。「常識」も同様である。これらに関しても、常に合理的か否かを考える必要がある。
 未来を展望するには、現在の知識で過去を考え、そのまま過去と現在を結ぶ延長線上に将来を考えてはならない。科学知識の進歩は目覚しく、故に将来の展望は困難をともなう。ここでは、技術のみでなく、人間として全てが関わる。広い視野から物事を直視し、考える力が必要である。
 平和な未来社会の基礎は、現代人の行動にかかっている。社会に奉仕・貢献できる人とは、上記のごとく、広い視野・科学的思考能力・豊かな発想を持ち、物事を直視し、将来を予測し、正しい方向へと進んでいく人である。このような人を育成する文化とは、争いや利己主義的文化ではなく、基礎を学問におく文化である。武術やスポーツは争いの文化である。これを極端に助長することは誤った結果をもたらす。故に、学問による修正が必要である。

決意と実行

 これらの構想を実現するため、私が体験と実験結果を通して、拳道学を形成していった過程を記す。
 物事を学ぶには、真の一流人物に学ぶことが大切である。故に、昭和25年に空手を学び始め、昭和28年に全日本空手同連盟(現在のものとは異なる)会長 遠山寛賢先生に入門、昭和32年、許田重発先生に入門。しかし、空手自体に問題が多すぎることに気付き、昭和32年末から空手の源である拳を台湾の許興智先生に学び始める。これらと並行して、昭和26年から空手指導を始めるが、技術のみで満足せず、武道としての精神面を付加する。遠山先生の命名により、幸栄館空手道を名乗る。しかし、会員指導の結果、保守的人物の養成しかできず、方向変更してスポーツ化に向かう。
 スポーツ化には、試合が必要である。試合には、安全・安心・楽しさ・夢・進歩が必要である。昭和29年から防具の研究を始め、練習も防具試合を中心にし、古い技を一つずつ試し、改良・付加し、昭和31年末にはスポーツ化の準備を完了する。昭和43年末までに、国際選手権大会を始めとする数々の選手権大会を開催。しかしながら、これらの結果として、勝敗に目の色を変え、相手の失敗を喜ぶような利己的な人間しか養成できず、競争が激化するほど識者が離れる。深く悩み続けた結果、ここに熟慮して構想を練り、学問としての方向を取る。

基礎理論の形成

 社会の直視、歴史的反省に立って、平和な未来社会を考えるとき、武を行う人は、心身ともに和を体験させ、成長させる必要がある。そのため、武は学問の中に取り入れてこそ価値が生じる。そこで、学問を土台に置き、この上に拳・空手の科学的な改良・付加を行う。昭和44年に学問として空手道学を、さらにこれを発展させ、昭和50年に拳道学を創始する。これは、その基本的思考において従来の文化とは全く異なる。

 中国古来の武術で、空手の源である。
 拳を行う21世紀の人間としてどうあるべきかを問う哲学である。
 学問として形成された文化である。

 学問には研究が必要不可欠である。研究のない学問はない。研究には、現実をありのままに見て、大局的視点と微視的視点から分析し、本質を見極めることから始まる。@問題を提出し、A仮説を設定し、B実行し、C結果を収集し、D記録を分析し、E仮説の再検討、F理論形成、の繰り返しであり、失敗を重ねて出来上がる。改革には、旧文化の破壊を意味し、そこからの強い抵抗を受ける。大変な労力と苦労を伴なう。また、その道程には未来に向かう光がさしているわけではない。暗闇の中での手探りのごとくであり、失敗と成功の集積として、再生の道が経験的に見出されるにすぎない。これらに打ち克ち、未来へと進む強い意志と実行力が必要である。拳道学を学ぶ者はこれらのことを常に念頭に置いていただきたい。